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Kie Takeda

大切な存在との別れとは

私のヨガのはじまりは、大好きだった祖父が他界したときがはじまりだったと思う。 

祖父は脳梗塞になり、だんだんと認知が進み、動けなくなり、ほどんど寝たきりになり はじめて倒れた日から1年ほどで他界した。 

私を無償の愛で守ってくれた存在との別れは、

高校2年の自分には、耐えられないほどの悲しみだった。 

 それから、死について、 生きることについて、

 幸せとは何か

に向き合う日々だった。 

そして、24歳のときにヨガに入門し、 

生きることへの考えがだんだんと整理されていった。

沖ヨガは、生命即神。

命が神であるという。 

神とは、自然法則の働きであり、生命の働きであり、真理だということだ。 

自然に即した生き方をしたときに、命の働きが高まる。 

逆を言えば、身体に、心に痛みや苦しみを感じているときには、

自然に即していないということだ。 

そして、自然にそった生き方とは、 

変化、バランス、安定だとも教えてくれた。 

同じ天候が一日としてないように、

細胞が生まれては死ぬように、 

生まれてから死ぬまで、 

私たちは変化し、バランスをとり、安定を繰り返している。 

身体は変化したいのに、

固定している姿勢を続けると痛みがでるように、 

心も変化に対して、抗おうとするから、執着するから悩みがでる。 

変化、バランス、安定というならば、 

生きて、死ぬことが自然であるというならば、 

死に対して、別れに対して、

悲しむことは執着なのだろうか。 

それが、ヨガをはじめたときに、生じたひとつの疑問だった。 

沖先生は、

「最後心で生きることが大切だ」

とも説いてくれている。 

最後心とは、いつでもこれが最後かもしれないという想いで生きることだ。 

それは、沖ヨガの要でもある丹田力にもつながる。

肚をつくること。

 ”丹田力を作ることはそう簡単ではない。生きるか死ぬかを繰り返すことだな” 

 生前、沖先生が笑いながら言っていたそうだ。 

私は、これは覚悟だと思っている。 

私もここ10年で友人、祖父母、父

大切な人たちとの別れがあった。

大切な人との別れを経験しない人はいないだろう。 

家族であれ、

友人であれ、

ペット(家族)であれ、 

自分にとって大切な存在との別れはとてもつもなく悲しい。

癒してくれるのは、時間しかないかもしれない。 

その感情に蓋をするわけでもなく、観ないわけでもなく、 

すぐに手放なそうとしなくてもいい。 

ここで、無茶をすると、自分に心が麻痺してしまう。

その自分の起こっている感情を大切に観る。 

悲しいと感じているのであれば悲しみを観る。 

つらいけど。 

そして、生きている人間どおしで、会えている今。

当たり前のように暮らしているこの時間を

つねに最後心をもって

覚悟をもって

大切に慈しみながら過ごす。 

自分のできる最大限の愛情を注ぐ。

それが何よりも大切だと強く感じている。 

心から、人を思いやり、大切にすることが、 

結果的に、自分の心を楽にしてくれる。

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