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映画「ある精肉店の話」

映画「ある精肉店の話」を観てきた。 http://www.seinikuten-eiga.com/


ヨガを始めてから食べ物についてはいろいろ考えてきた。

肉を食べない。 好みだったり、病気だったり、宗教的理由だったり、環境的に必要だったりするだろう。 もちろんそれが必要な状態ならば良いと思う。

でも、なんとなく自分はそうするか?ってなると????だった。 今回、すこし自分の中で考えがまとまった。

わたしは、食べ物自体を選ぶということがあまりしたくないらしい。 食べることはそんなに簡単なことじゃなくて、 今食べられない人もいる。だから、選ぶこと自体がおこがましいと思ってしまうし。選べる環境は当たり前じゃないから。

それだけじゃない。今日の映画の中の様に、 ほかの人が食べるために、屠畜している人。 それによって差別を受けてきた人の歴史。(部落差別ふくめて) そういう人が自分の変わりに生命を奪うことの重さを背負ってくれている。

そう思うと、 自分さえ食べなければそれでいいのか? 人間はお肉を、生き物を食べ続ける。

自分さえ、そこから外れればいい。 なんとなくそれは自己満足で。 ひとりよがりに私は思ってしまう。

私は、自分のために、 肉を食べる食べないを決めていることが違和感だったのだ。

だから”食べないこと”を選ぶよりも、 人間は、他の生命をいただいて生きている。生かされている。

そのことを自覚しながら、 感謝して美味しいものを美味しいと言いながら、 食べ過ぎず。 毎日自分が出来ることを頑張りつつ勉強していきたい。

と、いうところまでFace bookに書いたら きえさんの考え方は「五観の偈」ですね。 と言ってくださる方が。

一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二 忖己德行 全缺應供 : 己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)って供(く)に応ず。 三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。 四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。 五 為成道業 因受此食 : 成道(じょうどう)の為の故に今この食(じき)を受く。

「この食物がどれだけの苦労や手間を労してここにあるのかをよく考え感謝し、自分が 果たしてこの食を得る資格があるのかを省みて、食事に対する貪りや怒り・愚痴(三毒) を捨てて好き嫌いなくいただくこと。  そして、これは枯れた体を癒す良薬であり、この食を摂ることによって即ち人間として 正しい道を歩むことを誓います」

ということ。

たしかに。今まで意識したことはなかったのですが、 そうです!!!! と納得してしまいました。

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